おはようございます!
最近例の件で透析界隈がざわついてますねぇ
俺自身は大して情報を追って無いので
ヤフーの記事で見た程度の知識しかありません
だからスルーしてたんだけど・・・
でも
透析も15年を迎える
透析ブロガーの端くれとしては
この15年の間に
透析に行くのが嫌になった事あったかなぁ???と改めて思い返してみた
いや~
いくら思い返しても無いなぁw
結構早い段階から受け入れてた気がする
受け入れてたってのとは微妙に違うのかなぁ?
受け入れたって言うなら
もっと透析について勉強もしただろうし
もっと節制もしてただろうし
透析に良いとされてる生活をしてるはずだ
じゃどういう状態だと言われれば
俺の語彙力じゃ上手い言い回しが思い浮かばないが
呼吸するのに理由なんか考えない様に
週3日透析に行くのが当たり前になってるし
どんなに用事があろうとも
透析日を動かしてって事も1度も無いんじゃないかなぁ
そんな感じなので
透析を離脱するなんて考えた事も無いし
もちろん
そんな選択肢を提示された事も無い
透析導入した早い段階からそんな感じだったと思う
なんでだろう???
改めて考えてみた
1つ思い当たる事はある
って言うか
完全にそれが理由だと思う
俺の場合
保存期と言うのが一切無くて
突然倒れて意識不明
3週間後に意識が戻った時には
人工透析患者になっていた
意識が戻った後も寝た切りの期間が少しあり
その後
「さぁ リハビリ始めて行きましょうか!」となった時に
歩くどころか
ベットの脇に自分1人で立つ事も出来無い位に筋肉が落ちていたのだ
何が言いたいかと言うと・・・
当時の俺にとっては
透析になった事より
1人で立つ事も出来ない体になった事の方が
大大大問題だったのだ
頭の中は
「リハビリしなきゃ! リハビリしなきゃ!」みたいな感じだった
シャントが中々作れない事や
入院中に胆石の発作が出た事もあり
退院が長引き
7ヶ月位入院してたのが逆に奏功して
その間に必死にリハビリをやって
7ヶ月後には自分の足で歩いて退院出来る位にはなっていた
それでも
倒れる前の状態には程遠く
退院後も透析と並行して
週3回リハビリも続けていたが
退院から1年後に
今度は入れてたグラフトが感染して入院した時に
化膿性脊椎炎になり半年の寝たきり
それまで必死に頑張ってたリハビリが水泡に帰して
またベットの横に1人で立つ事すら出来ない
0からのリハビリを余儀なくされた
それでもこの時も
1年の入院の間に必死にリハビリして
退院する時には
何とか自分の足で歩いて退院出来た
そして
3年ちょっと前には
このブログの読者ならご存知の
入院中に
またまた化膿性脊椎になり
半年以上の寝たきりで
3度目の0からのリハビリとなってしまい
1年2か月後の退院時には
要介護2の状態で
ついに
車椅子になってしまった
それでも
1年半位かかったが
週3回デイケアセンターで必死にリハビリして
普段の生活では完全に車椅子が取れ
去年の9月には
A型事業所で働けるくらいにはなった
そうなのだ
透析になってからの15年って言うのは
俺にとっては
リハビリの15年でもあるのだ
昔からのこのブログの読者は
「お前その間に懲役も行ってんだろ」とツッコまれそうだが
懲役の間も
朝方に毎日隠れて運動してたし
何より
パクられた時に
140KあったDWを
ダイエットして
71Kで帰って来たんだから
この時が1番調子良かったかもしれないwww
話は逸れたが
今思い返しても
ツラいのは透析じゃ無くて
今でも続けていて
これからも続けて行かなきゃいけないであろうリハビリの方なのだ
だから
リハビリに行きたくないのはしょっちゅうあったけど
透析に行きたくないってのは無いんじゃないかなぁ
まぁ
リハビリは行かなくても死なないけど
透析は行かなきゃ死ぬんだから
当たり前って言えば当たり前かwww
今回の件で改めて思い知らされたのは
透析行かなきゃ
ヤッパリ1週間で死ぬんだって事だ
以前同級生の母親がそうだった
もう透析を受けられる体の状態じゃ無くて
透析を離脱したが
1週間持たずに亡くなった
その人は80歳近かったし
透析も出来ない位の体の状態だった訳だが
今回の件で亡くなった人はまだ40代で
透析が出来ない状態だったとかでも無いんでしょ?
まぁ
最初に言った通り
情報を全然追って無いんで
どんな状況だったのかよく知らないから
軽々には言えないが・・・
透析しなきゃ
当然尿毒症になる
でも
尿毒症ってかなりツラいよ
実は
導入時の7ヶ月の入院中に
何回手術しても
シャントも作れずに
ルーメンも感染で長く入れておけず
尿もまだ日に800cc~1000ccとか出ていたので
入院中だと言う事もあり
透析を離脱してた時期があった
その時は
1カ月近く経った頃に
それまで寝た切りだろうが
意識さえあれば無くならなかった食欲が
人生で初めて無くなった
目の前に食事があっても全然食べる気がしない
1日中ムカムカした感じで
頭は痛いし
吐き気はするし
最後は
「もう無理!透析してくれ」と頼んで
データを見た医師が
「う~んこれは」と言って
2日続けて5時間で
計10時間もやったんだから
かなり
データが悪かったんじゃ無いのw
今だったら
データ見せろ!って言うけど
当時は完全なお任せ透析で
見たって分からないし
そんな事考えもしなかった
さすがに
死ぬ直前だったって事は無いだろうが
それでこんなにツラいんだから
死ぬ直前の尿毒症の状態で
ちゃんと医師に自分の意思を伝えられたのかねぇ?
その時の体の状態
精神の状態で
かなり左右されると思うけど
ただ
透析をやらないという選択肢がある事を
患者に伝えるのは別に良いと思うし
患者だってその事を知っているのは良い事だと思う
それに
特殊な事情を除き
最後に何か決めるのは
やっぱり患者本人であるべきだ
だからこそ
患者もある程度の知識が無きゃダメなんだろう
ただ
透析の離脱って・・・
透析患者は誰もそんな事思って無いだろうが
これは安楽死では断じて無い
ランキングに参加中 ご協力よろしくお願いします
最近例の件で透析界隈がざわついてますねぇ
俺自身は大して情報を追って無いので
ヤフーの記事で見た程度の知識しかありません
だからスルーしてたんだけど・・・
でも
透析も15年を迎える
透析ブロガーの端くれとしては
この15年の間に
透析に行くのが嫌になった事あったかなぁ???と改めて思い返してみた
いや~
いくら思い返しても無いなぁw
結構早い段階から受け入れてた気がする
受け入れてたってのとは微妙に違うのかなぁ?
受け入れたって言うなら
もっと透析について勉強もしただろうし
もっと節制もしてただろうし
透析に良いとされてる生活をしてるはずだ
じゃどういう状態だと言われれば
俺の語彙力じゃ上手い言い回しが思い浮かばないが
呼吸するのに理由なんか考えない様に
週3日透析に行くのが当たり前になってるし
どんなに用事があろうとも
透析日を動かしてって事も1度も無いんじゃないかなぁ
そんな感じなので
透析を離脱するなんて考えた事も無いし
もちろん
そんな選択肢を提示された事も無い
透析導入した早い段階からそんな感じだったと思う
なんでだろう???
改めて考えてみた
1つ思い当たる事はある
って言うか
完全にそれが理由だと思う
俺の場合
保存期と言うのが一切無くて
突然倒れて意識不明
3週間後に意識が戻った時には
人工透析患者になっていた
意識が戻った後も寝た切りの期間が少しあり
その後
「さぁ リハビリ始めて行きましょうか!」となった時に
歩くどころか
ベットの脇に自分1人で立つ事も出来無い位に筋肉が落ちていたのだ
何が言いたいかと言うと・・・
当時の俺にとっては
透析になった事より
1人で立つ事も出来ない体になった事の方が
大大大問題だったのだ
頭の中は
「リハビリしなきゃ! リハビリしなきゃ!」みたいな感じだった
シャントが中々作れない事や
入院中に胆石の発作が出た事もあり
退院が長引き
7ヶ月位入院してたのが逆に奏功して
その間に必死にリハビリをやって
7ヶ月後には自分の足で歩いて退院出来る位にはなっていた
それでも
倒れる前の状態には程遠く
退院後も透析と並行して
週3回リハビリも続けていたが
退院から1年後に
今度は入れてたグラフトが感染して入院した時に
化膿性脊椎炎になり半年の寝たきり
それまで必死に頑張ってたリハビリが水泡に帰して
またベットの横に1人で立つ事すら出来ない
0からのリハビリを余儀なくされた
それでもこの時も
1年の入院の間に必死にリハビリして
退院する時には
何とか自分の足で歩いて退院出来た
そして
3年ちょっと前には
このブログの読者ならご存知の
入院中に
またまた化膿性脊椎になり
半年以上の寝たきりで
3度目の0からのリハビリとなってしまい
1年2か月後の退院時には
要介護2の状態で
ついに
車椅子になってしまった
それでも
1年半位かかったが
週3回デイケアセンターで必死にリハビリして
普段の生活では完全に車椅子が取れ
去年の9月には
A型事業所で働けるくらいにはなった
そうなのだ
透析になってからの15年って言うのは
俺にとっては
リハビリの15年でもあるのだ
昔からのこのブログの読者は
「お前その間に懲役も行ってんだろ」とツッコまれそうだが
懲役の間も
朝方に毎日隠れて運動してたし
何より
パクられた時に
140KあったDWを
ダイエットして
71Kで帰って来たんだから
この時が1番調子良かったかもしれないwww
話は逸れたが
今思い返しても
ツラいのは透析じゃ無くて
今でも続けていて
これからも続けて行かなきゃいけないであろうリハビリの方なのだ
だから
リハビリに行きたくないのはしょっちゅうあったけど
透析に行きたくないってのは無いんじゃないかなぁ
まぁ
リハビリは行かなくても死なないけど
透析は行かなきゃ死ぬんだから
当たり前って言えば当たり前かwww
今回の件で改めて思い知らされたのは
透析行かなきゃ
ヤッパリ1週間で死ぬんだって事だ
以前同級生の母親がそうだった
もう透析を受けられる体の状態じゃ無くて
透析を離脱したが
1週間持たずに亡くなった
その人は80歳近かったし
透析も出来ない位の体の状態だった訳だが
今回の件で亡くなった人はまだ40代で
透析が出来ない状態だったとかでも無いんでしょ?
まぁ
最初に言った通り
情報を全然追って無いんで
どんな状況だったのかよく知らないから
軽々には言えないが・・・
透析しなきゃ
当然尿毒症になる
でも
尿毒症ってかなりツラいよ
実は
導入時の7ヶ月の入院中に
何回手術しても
シャントも作れずに
ルーメンも感染で長く入れておけず
尿もまだ日に800cc~1000ccとか出ていたので
入院中だと言う事もあり
透析を離脱してた時期があった
その時は
1カ月近く経った頃に
それまで寝た切りだろうが
意識さえあれば無くならなかった食欲が
人生で初めて無くなった
目の前に食事があっても全然食べる気がしない
1日中ムカムカした感じで
頭は痛いし
吐き気はするし
最後は
「もう無理!透析してくれ」と頼んで
データを見た医師が
「う~んこれは」と言って
2日続けて5時間で
計10時間もやったんだから
かなり
データが悪かったんじゃ無いのw
今だったら
データ見せろ!って言うけど
当時は完全なお任せ透析で
見たって分からないし
そんな事考えもしなかった
さすがに
死ぬ直前だったって事は無いだろうが
それでこんなにツラいんだから
死ぬ直前の尿毒症の状態で
ちゃんと医師に自分の意思を伝えられたのかねぇ?
その時の体の状態
精神の状態で
かなり左右されると思うけど
ただ
透析をやらないという選択肢がある事を
患者に伝えるのは別に良いと思うし
患者だってその事を知っているのは良い事だと思う
それに
特殊な事情を除き
最後に何か決めるのは
やっぱり患者本人であるべきだ
だからこそ
患者もある程度の知識が無きゃダメなんだろう
ただ
透析の離脱って・・・
透析患者は誰もそんな事思って無いだろうが
これは安楽死では断じて無い
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