おはようございます!

今日は3月11日

2011年3月11日の東日本大震災から今日で9年目

この未曾有の大災害

Fukusima50を観た感想でも書いた様に

この時の一連の出来事って

当時のニュースを

映像で観た事が一切無いんだよねぇ

あの津波が町を飲み込む衝撃的な映像も

実際に見たのは震災から何年後だろう?

確か

震災から何年目かの

テレビのドキュメント番組だったかな

何故かと言えば

震災時

俺は

まだ刑務所の中だったんだよねぇ

今でも

あの日の事はハッキリ覚えてる

当時は月水金に

刑務所から車で20分位の場所にある民間の透析クリニックにに通っていて

金曜日だったその日も

何時もの様に

朝から

透析患者3人に

刑務官4人が付き添い

透析クリニックへ

透析が終わり

刑務所に戻り

遅めの昼食を独居房で取り

何時もなら

そこから夕方まで刑務作業をしなきゃいけないのだが

その日は月に1回の

午後は自分自身を見直す時間に充てる日で

昼食の後は

平日なのに刑務作業をする訳でも無く

かと言って

本当に自分自身を見直す訳でも無く

部屋でボ~っとしていたら

突然物凄い揺れが・・・

それこそ

1階だったので

建物が潰れないか?心配になる様な揺れで(後から知ったのは刑務所はかなり頑丈らしいw)

かなり揺れてる時間が長かった印象がある

ちょっと今まで経験した事の無い揺れだった

揺れが収まると

防災用のヘルメットをかぶった刑務官が一部屋ずつ

「大丈夫か?怪我無いか?」と声を掛けて確認しに来たが

今までにも地震の後には

声を掛けながら確認しに来る事はあったけど

刑務官が防災用のヘルメットをかぶって確認しに来たのを見て

何時もとは違う規模の地震なんだと思ったもんだ

とは言え

自分からは

何も情報を得る事の出来ない刑務所の

しかも

独居房の中

何時もなら

何がどうなっているんだか分からない

悶々とした時間を過ごすのが常だが

この日は違った

何故か時間でも無いのに

突然ラジオが部屋に流れ出した

この通常ではあり得ない刑務所側の対応に

何時もと違う

ただ事では無い事が起こっているんだと感じたが

やがて

ラジオから流れて来る

何々浜で数十人の遺体が・・・みたいな深刻な被害情報を聞くたびに

東北でとんでも無い事態になってるのは

否が応でも分かった

結局その日は

就寝の21時までラジオが切られる事が無かった

翌日は土曜日で

免業日で刑務作業が無かったので

朝からずっとラジオが流れていて

もちろん震災一色だった

そんな日でも

1人15分の新聞は回って来て

その時初めて津波の写真を見て

こんな事になってるんだぁと驚いたが

やっぱり映像で見るのとは違って

想像しきれて無かったと思う

そして

この時ばかりは

通常は月に発信出来る手紙の数も決まっているが

それとは別に

1回だけ家族の安否を確認する手紙を出す事を許可されたっけなぁ

それと俺自身にはこんな影響が

当時は生食を5袋ぶら下げて

HDF透析をしていたのだが

この生食を作っていた北茨城の工場が津波の被害にあい

生食が手に入らず

2ヶ月位HDF透析が出来なかった

とは言え

規則正しい生活をしてたんで

血圧が下がるような事は無かったけどw



この時の事で凄い覚えてるのは

震災から少しして

刑務所の中でも募金の募集が回って来た事

俺も5000円だけ寄付したのを覚えてる

この募金の募集は

うちの刑務所だけじゃ無く

全国の刑務所で行われた様で

この事があって

しばらくしてから

刑務所での募金の事が新聞で取り上げられていて

俺がいた刑務所が

全国で1番寄付が集まったと書いてあった

人数的には

大人数が収容されている

大きい刑務所とは言えないところだったが

まぁ

俺がいたとこは

全囚人の6割近くが無期懲役囚だったから

毎月の報奨金も貯まっていて

金があっても使うとこが無いからだろうなw

話は大分逸れたが

あの日から9年

その後無事出所して

今はそれなりに真面目にやっている

気付けばももクロにハマり

今年の春のライブは

震災による原発災害の

復興の前線基地であった

Jビレッジで開催される予定だ

まだ開催が正式決定されて無いが

コロナウィルスが下火になり開催されれば

4月にはライブに行きがてら

20代の頃に働いていた

津波の被害が酷かった福島の浜通りの今を

是非この目で見て来たいもんだ



                                   
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