おはようございます!
福島遠征第3弾です
実は
今回ライブが行われたJヴィレッジがある福島県の浜通りは
23歳から27歳まで釘師として働いていたパチンコ屋が
チェーン展開していた場所で
この浜通りには何年も住んでいたのだ
この地域にチェーン店展開していた1番の理由は
この地域に
原発や火発が多く存在
または建設中だった事で
そこで働く人たちをターゲットにしての事だった
この地域の
国道6号線沿線にチェーン店展開するのが決定して
出店した第1号店の店長が
まだ23歳の自分だったのだ
その第1号店が
当時の原町市で
今の南相馬市
2号店が今回宿をとった浪江町
3号店が
福島の海沿いを北上して
宮城に入り最初の町である山元町
これらの地名を聞けばお分かりだと思うが
どこも
東日本大震災で甚大な被害があった地域で
原発という特殊な仕事柄
働く時間は短いが
高給取りが多く
時間を持て余してる人が多いからか
パチンコ店がやたらと多い地域で
どこも人が入っていた
しかしその考えが
完全に裏目に出た訳だけど・・・
災害当時は既に働いてはいなかったけど
津波は
海岸線から2㎞近く陸側にある
国道6号線を超えたのも知っていたので
店も被害にあい
営業してないのは知っていたけど
そこがどうなってるか
この機会にぜひ
この目で見ておきたいと思っていたのだ
なので
ライブ会場と南相馬市の中間に位置する
浪江に宿を取っていたのだ
まずは
早くに宿を出て
浪江の請戸港へ
俺が知ってる請戸港は
さびれた漁村って感じで
それでも
船宿で美味しいご飯を食べさせてくれるとこが数件あったが
もちろんそんな面影はなく


漁船は停泊してたが
近代的な建物が1つあるだけで
だっだ広い空き地って感じ
そこに行くまでの道中も
空き地が目立ち
数少ない建ってる家はどれもきれいで
津波後に建て直したんだろうなぁと想像できる
海に近づくと
木はこの時期なのに葉っぱが付いてないものも目立つ


初めて
津波の被害の甚大さを感じました
復興はまだまだ道半ばって言うのをこの目で見て
請戸港を離れて
南相馬市へ
お目当ての店は
店長だった当時とは名前が変わってましたが
すぐに分かりました

6号線沿線に立つこの店も
被害はあったんでしょうが
さすがに
海岸線から2K近くあるので
建物そのものが流される事は無かったようだ
浪江に戻り
浪江店もすぐに見つかりました

こちらも同じなんでしょうね
津波は6号は越えたとはいえ
さすがに勢いは衰え
水浸しにはなっても
建物は流されなかったようです
山元町までは行きませんでしたが
この2店を約30年ぶりに見て
ライブともう1つの目的も果たして
スッキリしました


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ご協力よろしくお願いします
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今回ライブが行われたJヴィレッジがある福島県の浜通りは
23歳から27歳まで釘師として働いていたパチンコ屋が
チェーン展開していた場所で
この浜通りには何年も住んでいたのだ
この地域にチェーン店展開していた1番の理由は
この地域に
原発や火発が多く存在
または建設中だった事で
そこで働く人たちをターゲットにしての事だった
この地域の
国道6号線沿線にチェーン店展開するのが決定して
出店した第1号店の店長が
まだ23歳の自分だったのだ
その第1号店が
当時の原町市で
今の南相馬市
2号店が今回宿をとった浪江町
3号店が
福島の海沿いを北上して
宮城に入り最初の町である山元町
これらの地名を聞けばお分かりだと思うが
どこも
東日本大震災で甚大な被害があった地域で
原発という特殊な仕事柄
働く時間は短いが
高給取りが多く
時間を持て余してる人が多いからか
パチンコ店がやたらと多い地域で
どこも人が入っていた
しかしその考えが
完全に裏目に出た訳だけど・・・
災害当時は既に働いてはいなかったけど
津波は
海岸線から2㎞近く陸側にある
国道6号線を超えたのも知っていたので
店も被害にあい
営業してないのは知っていたけど
そこがどうなってるか
この機会にぜひ
この目で見ておきたいと思っていたのだ
なので
ライブ会場と南相馬市の中間に位置する
浪江に宿を取っていたのだ
まずは
早くに宿を出て
浪江の請戸港へ
俺が知ってる請戸港は
さびれた漁村って感じで
それでも
船宿で美味しいご飯を食べさせてくれるとこが数件あったが
もちろんそんな面影はなく


漁船は停泊してたが
近代的な建物が1つあるだけで
だっだ広い空き地って感じ
そこに行くまでの道中も
空き地が目立ち
数少ない建ってる家はどれもきれいで
津波後に建て直したんだろうなぁと想像できる
海に近づくと
木はこの時期なのに葉っぱが付いてないものも目立つ


初めて
津波の被害の甚大さを感じました
復興はまだまだ道半ばって言うのをこの目で見て
請戸港を離れて
南相馬市へ
お目当ての店は
店長だった当時とは名前が変わってましたが
すぐに分かりました

6号線沿線に立つこの店も
被害はあったんでしょうが
さすがに
海岸線から2K近くあるので
建物そのものが流される事は無かったようだ
浪江に戻り
浪江店もすぐに見つかりました

こちらも同じなんでしょうね
津波は6号は越えたとはいえ
さすがに勢いは衰え
水浸しにはなっても
建物は流されなかったようです
山元町までは行きませんでしたが
この2店を約30年ぶりに見て
ライブともう1つの目的も果たして
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