ぷーたろーの人工透析日記はじめました。

2016/4/19に歩くのはもう無理かもと医者に宣告されるも 半年後に立ち上がり数m歩く事に成功 何とか普段の生活では車椅子を取る事に成功! 車椅子で参戦してた大好きなももクロのライブも徐々に車椅子無しで参戦!

透析導入から12年の記録

透析導入から12年の記録 ①


俺の部屋にはエアロバイクが置いてある。

これは2代目である。

初代はサドルがポッキリ折れて使い物にならなくなってしまった。
しかしエアロバイクとして立派な最期を迎えたのだから本望だったろう。

初代が家に来たのは、12年前。
当時体重が、150Kぐらいあった俺は、不摂生がたたり30代半ばに突然倒れ病院に運ばれた。
もう危ないと言われ家族なども呼ばれたそうだ。
そうだというのは、俺は意識が無かったからだ。
そして3週間後無事意識を取り戻した。

話が少しそれるが、病院に運ばれたと書くのは簡単だが、当時マンションの8階にいたので、                              体重も150Kからあると、運ぶのも大変だったそうだ。
急遽、救急車がもう1台呼ばれたそうだ。しかし、いくら太っているとは言え2台にまたがって乗る訳も無く、
要は、最初に来た救急車の3人では俺が持ち上がらなかったらしい。そこでもう1台応援を呼んだのが真相らしい。
突然マンションの前に2台の救急車がきたので、ちょっとした騒ぎだったらしい。

それをにやにやしながら、俺に教えてくれたのは、倒れてる俺を発見し救急車を呼んでくれた後輩だ。
ぼーっとした頭でその顔を見上げながら、その場の事を想像すればするほど、意識が無くてよかったと、心から思った。

                                                     今日はここまで


                              初代エアロバイクが登場までまだかかるな~
                              気長にお付き合いください。

透析導入から12年の記録 ②

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目が覚めると、9月だったはずが、10月になっていた。

少しずつ意識がはっきりして来て時間がたってくると、いろいろな事がわかってきた。

まず人工透析になっていたこと。

でもこれは意外に、そうなんだ位で受け入れていた。

でも今思えば、透析の事を何も知らなかったので受け入れたも何もないけど。

そんなことより衝撃的だったのが、歩くどころか、ベッドの横に立つ事も出来なかった事だ。

生まれて初めての事だけに、これには本当にあせった。

150k位で入院したが透析になる位だから、体には水分がたまりにたまっていた訳だ。

後で医者から聞いた話だが、運ばれて来た時、俺は意識が無いので話が聞けず、何をしていいか最初分からなかったらしい。

それで試に透析をしたら数値が良くなってきたので安心したと言われた。

そんな事で意識が戻ったころには、除水が済んでいたので、10k近く体重が落ちていた。

これで俺の人生初の透析とリハビリの幕が上がる(一応モノノフなので)

それと同時に始まったのがダイエットだ。

       今日は以上                      まだまだ初代エアロバイクまでかかるなぁ~

透析導入から12年の記録 ③


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こうして、透析、リハビリ、ダイエットをしながらの入院生活が始まった。

集中治療室のベッドの上で透析をやり、ベッドの上でリハビリをし2週間ぐらいして立って10m位歩けるようになった頃、一般病棟に移された。

そうすると食事もおかゆから普通の食事になったが、これがダイエット食でカロリーが、1日1600kcalだった。

成人男子の平均が確か2400~2600kcal位じゃなかったかなぁ~(うろ覚え)

ただでさえ透析食で、味が薄いのにこの量の少なさ、これには本当に参った。

しかし、その頃には、長い距離は歩けないものの、車いすでなら院内を自由に動けたので、売店で何か買えば

いいや位に思ったが、すぐにそれが甘い考えだと思い知らされた。

いまは当たり前だが、透析の前後には必ず体重測定があるので、飲んでない、食べてないとゆう嘘は通用しな

いのだ。

そこで俺も腹をくくった。

始めて歩けなくなった事もあり、リハビリには必死で取り組んでいた。それはリハビリの先生からあまり無理をし

ない様にと言われる位に。

こうしてリハビリとダイエットは順調にすすんだ。

問題は透析だった。

当初は首の頸動脈にカテーテルを入れっぱなしにして透析をしていたが。

いずれ退院するためには、シャントを作る必要があったのだが、これが難航した。

これこそが今に続く苦難の始まりであるとは、その時は思いも寄らなかった。

何しろ俺は血管が細くてシャントオペがうまくいかなかった。

大体看護師が一発で採決を決めることは稀で、看護師では手に負えず医者が採決をしに来ることがたびたびあ

る位だった。

左手首に1回目のオペが失敗。4.5日後に閉塞。

右手首に2回目のオペが失敗。つぎの日に閉塞。

左腕に人工血管を(グラフト)を入れるも失敗。オペ室を出る時にはすでに閉塞。

左足太ももに人工血管を入れる。オペは成功するも、1度穿刺した後、そこから感染、熱が40度位まで上がり、

人工血管を取り外す。

こうやって書くのは一瞬だが、1度失敗したからまた次の日と言う訳にはいかず、オペとオペの間は3週間から1

か月位は開くので、入院生活はその時すでに5か月位経っていた。

しかし悪い事ばかりでは無かった、シャントオペは困難を極めたが、時間ができた分、リハビリとダイエットは順

調だった。

その頃には入院時150kあった体重も130kを切る位までになっていた。

今はここまで。

これから午後の運動の時間。  ももクロちゃんの動画を見ながらエアロバイク1時間

今日はどこも出かけないので、午前中もエアロバイク1時間済

                                            今日はまた後で。


運動と夕飯終了。

今日はもう少し頑張ろう。 いつまでたっても初代エアロバイク出てこない。

今度のオペは、感染してしまったものの、成功した左足の太ももにもう1度挑戦する事になった。

このオペは成功して、2週間が過ぎた頃忘れもしない出来事が起こった。

今、思えば笑い話だが、その時は本当にへこんだ。

入院生活も半年を過ぎ、ついに退院の話が出たまさにその夜、突然腹が痛くなり、検査をするとなんと、

胆石だった。

その日から絶食になり、結局退院が1か月延びた。

退院するに当たり、透析に通う病院を決めなければならない。

そこで俺は透析だけでなく、リハビリ施設もある病院を探した。

すると、家から一番近い総合病院がその条件を満たしていた。

リハビリを続けようと思ったのは、歩けるようになったと言っても元に戻ったというには、ほど遠い状態だったから

だ。

こうして7か月ぶりに退院して、月水金は午前中リハビリ、午後は透析という 生活が始まることになった。

そして退院の日迎えに来てくれた後輩が退院祝いに何か欲しいものがないかと聞かれ、リクエストして後日、家

に届いたのが初代エアロバイクだった。
       


                   今日はここまで。   それではまた。

   本日最後の運動エアロバイク1時間(3回目)



  

透析導入から12年の記録 ④

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7か月に及ぶ入院生活が終わり、退院する頃には、150kあった体重も120kまで減っていた。
 
そして退院祝いに貰った物こそ初代エアロバイクだった。(ついに登場!)

退院すると、月水金は午前中リハビリ昼から透析という生活が始まった。

透析初日まず体重をはかってビックリした。なんと3kも増えていた。

今なら、なんとも思わないが、その時は本当にビックリした。

せっかくダイエットしたのに1日で3kも増えたと思ったのだ。

もっと驚いたのは、透析が終わったら、その3kがきれいに無くなってた事だ。

何を言ってんだと思われるかもしれないが、その時は透析の事が何もわかっていなかった。

大体この時は除水と言う概念が無かった。

なぜなら入院してる間ダイエットをしていたのと、ションベンが多少出ていたので、透析後の体重より次の透析前

の体重が増えていたことが無かったのだ。

これで俺は、透析初回で大きな大きな勘違いをした。

なぁ~んだ、もうダイエットしなくていいんだ、透析終われば体重元に戻るんだと思ってしまったのだ。

この事が有って、透析日のリハビリは続けたものの、ダイエットはやめてしまった。

これで初代エアロバイクは、一回も使われる事なく部屋で洋服掛けになってしまった。
(書けば書くほどタイトルがおかしく思えてきた、活躍するまでまだ何年もかかるんだけど・・・まっ超大作という事で)
                                                    今日はここまで


今週の木曜は8時よりパソコン教室だったが、大事ななでしこの試合の為土曜に変更

ウィンブルドンも始まったし。

透析導入から12年の記録 ⑤

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退院して初めて行った透析で大きな勘違いをした俺。

この勘違いのせいで、入院中やっていたダイエットをやめてしまつた。

しかし、しばらく通ううちに、血圧は下がるわ、足はつるは、終わっても血圧が上がらず、すぐに帰してもらえない

位だった。

もともと低血圧な俺がさらに低くなるのだから大変だった。

血圧を測るとき自動の場合、設定した数値より低いとブザーがなるが、もともとその病院では上が100を切ると

なるのだが、俺の場合、100で設定しとくと毎回なるので、80にしていた位だ。

ところが、DWを上げると嘘みたいに楽になるのだ。

そうなのだ。

透析をやってても太るのである。

現実は甘くなかった。

何もしないで痩せるとか有る訳無かったのである。

当時の俺はその位、透析の事が何も分かっていなかった。

しかも最悪なのが、入院してた間当たり前のようにしてたダイエットも退院してやめた事で、切れた気持ちをもう

一度立て直すことはとてもできなかったのだ。

そうして120kまで落ちた体重は少しずつ、少しずつではあるが、確実に増えていった。

右肩上がりで増えていくのだから血圧が高くなる時がほとんどなかった。

リハビリは続けてたものの、かなり足の筋肉が落ちていた事もあり、立ちくらみがすごかった。

典型的な起立性低血圧だ。

これには本当に苦労した。

立とうと思ったら、何回か立ったり、座ったりして慣らしてからじゃないと、立って歩き出せなかった。

それでもリハビリをしながら、透析を続けていたが、1年位経ったある日、朝起きていつもの癖で、足のグラフトに

触ると、いつもは、しゃんしゃんと血液の流れるのが、手のひらに感じたのが、何も感じないのである。

こうして閉塞は突然やってきた。

                                          きょうはここまで!
                           

初代エアロバイクじゃ辛くなってきた。エアロバイクとして使用するまでまだ何年もあるもんなぁ~。

なんでタイトルこれにしたんだろう。

全部変えるか!

試行錯誤しながらやってるんで、笑って許してください。



なでしこジャパン決勝進出おめでとう
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ぷーたろー

波乱万丈な人生を送ったぷーたろーが、40代にして初めて触ったパソコンを駆使して、病気の事からスポーツの事や大好きなももクロの事まで日々の生活で感じた事などを思うままにつづった、なんでもありの雑記型ブログ

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