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突然だけどふと思いついて今日は透析になった理由を振り返りたい
透析になるにはもちろん色々理由があると思う
糖尿や通風そして生まれつき腎臓に疾患がある人など色々だろう
俺の場合はっきりしていてきっかけは痛風だ
初めて痛風の発作が出た日の事は今でもはっきり覚えている
25年も前の事だがあの痛さは本当に衝撃的だった
18才でやくざの道に入った俺だが実は23才~28才の5年間働いていた事がある
その頃の仲間と地元でいろいろ悪さをして地元にいずらくなった時があった
若気の至りとしか言いようがないが血眼になって俺らを探してるグループがいて開き直っている俺らは地元に入るときはそれこそここではとても書けないようなものを持って地元に入っていた
丁度そんな時に仲間の1人の親戚が地方でパチンコ店を開店するため人を集めているとゆう話が合った
その話に4人いた仲間のうち2人が乗り1人は残ると言い俺は当時体重が130k位あったのでパチンコ屋でホールでは働けないと思い考えてると友人がパチンコ屋で働かなくても店の寮に住んでなんか仕事探せばいいよとゆう事で親戚の了解を取ってくれたので俺も行くことにした
結局3人が行くことになり話を持ってきた当人ともう1人が先に行き俺は1週間位遅れて1人で向かった
寮で寝泊まりができるとゆう事で自分1人が1ヶ月や2ヶ月位食べる位のお金はあったのでゆっくり仕事でも探すか位に考えていた
行ってみて分かった事は本社が東京にあり居酒屋やパチスロ専門店を経営していて俺らが行ったパチンコ屋が
パチンコ店としては1号店だった
社長は28才と若く弟の常務は俺より一つ上の24才だった
基本的に社長は東京にいて常務が東京と行ったり来たりして店を管理していた
店には40歳くらいのマネージャー夫婦がいてこの店を買うに当たり前の店で働いていたのをそのまま残ってもらったらしい
他の従業員は若い女の子だけだった
それが売りの一つだった
カウンターだけじゃなく鍵を持った女の子がホールも担当していた
そんな感じの店だったのと仲間の一人が経営者の一族だった事もあり1週間遅れて俺が行ったときは親戚の奴は東京の本社で社長の下で働く事になりもう1人はその店の主任候補としてマネージャーについて働いていた
俺はみんなに紹介されてそこで生活する事になった
とは言え元々店で働かないのは了解済みだったし俺は昼頃になると店に顔を出し昼飯を食べ(寝るところ以外に俺の分の食事も用意してくれた)店の車を使い街をぶらついたりしていて閉店まで時間をつぶして特に急いで仕事も探しはしなかった
閉店まで時間をつぶしていたのはさすがに俺も先に寮に帰って寝るなんて事はせずに閉店後の清掃をみんなと一緒にやっていた
一つ上の常務とは気があった事もあり東京の本社と電車で行ったり来たりしている常務を駅まで送り迎えしたり
常務がいないときは細かい雑用を頼まれたりしていた
もちろん給料など有る訳がない
給料が出ないと言っても常務が時々ポケットマネーでこずかいをくれたし寝る所と食事の心配が無かったので困る事は無かった
特に常務は食道楽とゆうのがぴったりの人で店に来るとホールに出る訳じゃない常務は俺に運転をさせグルメ本片手にあっちこっちに行った
常務にしても従業員を連れ出すのはマネージャーの手前出来ないしみんな俺が給料を貰ってないのは知っていたから俺を連れ出しても誰からも文句が出ないので丁度良かったのだろう
そんな事で常務とはますます仲が良くなっていった
そんな生活を数ヶ月続けた
今日はここまで
透析になった理由を簡単に書こうと思ったが当時の事を思い出してたら長くなってしまった
もう少しだけお付き合いください